
落語家としてだけではなくコメンテーターや舞台監督・映画監督としても広く活躍する立川志らくさんはどのような生い立ち・経歴を持ち、落語家としてどのような活躍をしてきたのでしょうか。
現在の収入・家族や性格とあわせてご紹介します。
[ad#ad-1]
1.芸能一家に生まれた落語の天才
立川志らく(たてかわ しらく)さんは本名を神間一弘といい、1963年8月16日・東京都出身の落語家です。
また、映画評論家、映画監督としても知られています。
志らくさんは、父親はギタリスト、母親は長唄芸人という芸能家庭で生まれ育ち、小学校高学年の頃既に落語に親しんでいたそうです。
落語家を志すきっかけとなったのは、大学在学中に所属していた落語研究会でした。
志らくさんは、東京都内の高校を卒業後、日本大学芸術学部進学しました。
同大学在籍中に、落語研究会に所属し、大学4年生の時に同サークルOBの紹介で7代目立川談志に入門しました。
現在の立川志らくという芸名も、入門直後に名乗った前座名から変わっていません。
談志師匠に入門後は大学を中退し、落語家としての活動に打ち込みます。
入門から10年後の1995年には早々と真打に昇進を果たしました。
弟子時代には古典落語に打ち込みましたが、真打昇進後は「シネマ落語」など独自の新たな分野を積極的に開拓しました。
志らくさんは、立川談志師匠をして「弟子の中で最も才能がある」と言わしめた逸話を持ち、その才能は早くから評判だったようです。
2.落語家としてだけでなく舞台・映画でも活躍
立川志らくさんは落語家として独自に開拓した「シネマ落語」で有名です。
「シネマ落語」は、有名な映画の脚本を江戸時代を舞台とした話に翻案した落語です。
代表的なものに、「ベニスに死す」を翻案した「吉原に死す」、「ローマの休日」を翻案した「吉原の休日」、「タクシードライバー」を翻案した「人力車」などがあります。
2015年1月から開始された自らの独演会「立川志らく落語大全集」では、16年かけて203席が演じられる予定です。
独演会ではシネマ落語を始めとした立川志らくによる落語の集大成が披露されています。
立川志らくさんは落語家として早くから才能を評価され、シネマ落語など落語界に新風を吹き込んできました。
「シネマ落語」の他にも、現在では、アニメ「機動戦士ガンダム」を元にした「ガンダム落語」などの新作を披露する他、ロックバンドとの共演など多様な取り組みを続けています。
そうした立川志らくさんの一門は、現在では、”立川流”の中ではダントツの弟子数を擁する最大の派閥となりました。
ちなみに、弟子にはアイドルグループ「仮面女子」に所属していた元アイドル”かしめ”が在籍していることでも知られます。
さらに、志らくさんは舞台演出家・脚本家そして映画監督としての一面も持っています。
1997年には「異常暮色」で映画監督としてもデビューし、現在では日本映画監督協会にも所属しています。
さらに、2003年からは劇団「下町ダニー・ローズ」を主催し、舞台演出家・脚本家としても活動を継続しています。
立川志らくさんは幼い頃から落語と映画に親しんでいたそうですが、これまでのところ、好きなことに目一杯打ち込んできたようです。
3.年収は平均的落語家の10倍5000万円!?
立川志らくさんの年収や収入は公表されていません。
そのためあくまで推測することしか出来ませんが、一般に、落語家の平均年収は500万円程度とも言われます。
ただ、その実態は明らかではありません。
そもそも弟子入りしたばかりの前座や昇進したばかりの二つ目(前座と真打の中間で、落語界では二つ目に昇進してようやく一人前として認められます)ではとても落語だけで食べていけるような収入は得られないのが普通です。
落語家の平均年収500万円といっても、真打以上の一部の有名落語家か、テレビへの露出が多い落語家の年収が相当に水準を押し上げていると考えられます。
立川志らくさんの場合、舞台監督や映画監督の他にコメンテーターのお仕事もされていますが、いずれも世間的にはそれほど広く知られ売れている仕事とはいえません。
しかし、立川志らくといえば言わずと知れた売れっ子落語家ですし、落語関係の著書も多数出版し、独演会を継続的に開催しています。普通の落語家の10倍は働いていますね。やはり、その働きに見合う平均的落語家の10倍以上の年収は得ているのでしょう。
4.結婚相手は18歳年下の元アイドル
立川志らくさんは元アイドルで現女優の酒井莉加(さかい りか)さんと結婚しています。
酒井さんは立川志らくさんの18歳年下で、結婚当時は年の差婚として話題になりました。
酒井さんは、2001年にアイドルグループ「リンクリンクリンク」のメンバーとしてアイドルデビューしました。
その後、立川一門の舞台で志らくさんと出会ったことをきっかけに、4年間の交際を経て、2006年に志らくさんと結婚されました。
酒井さんは、現在では、立川志らくが主催する劇団「下町ダニー」の看板女優として活動されています。
酒井さんに関しては、立川志らくさんとは年の差婚であり、元・売れないアイドルであり、タトゥーが入っている…などの事情から結婚当初こそ様々な憶測がされました。
しかし、2012年には長女も出産され、お二人は現在も仲睦まじくされています。
5.意外にも男気あふれる破天荒な性格?
落語家であると同時に舞台監督・脚本家、映画監督そしてコメンテーターとしても活躍する立川志らくさんは紛うことなき”文化人”といえます。
しかし、志らくさんは数々の破天荒で男気あふれる逸話を持ています。
志らくさんが立川談志師匠に入門した直後には、談志師匠から築地市場での修行を命じられ、当時の前座は皆従ったそうですが、志らくさんはただ1人拒否したそうです。
また、1992年には「”超”放送禁止落語界」と題した寄席を開催しました。
寄席では、志らくさんを筆頭に数人の落語家によって皇室罵倒、差別用語連発の演目が披露され、会場に居合わせた部落解放同盟関係者から糾弾されるに至りました。
こうしたエピソードや、「シネマ落語」始め落語界に新風を吹き込んできた立川志らくさんの落語家としての経歴からも、立川志らくさんは案外と大胆で破天荒な性格の持ち主なのかもしれません。
さらに、18歳年下のお嫁さんとの結婚の際、志らくさんから明確なプロポーズの言葉はなく、ある日突然玄関に婚姻届を貼り付けてプロポーズしたそうです。
一見不器用な男の無愛想な行動にも思えますが、お嫁さんは18歳年下だったにも関わらず志らくさんに熱愛だったと言いますから、プライベートではかなり男気あふれる人物なのかもしれません。
落語以外にも幅広く活躍する立川志らく
立川志らくさんは、芸能一家に生まれ早くから落語に親しみその才能を育んできました。
大学時代から本格的に落語家の道へ進み、立川談志に入門後10年で真打に昇格した後は「シネマ落語」「ガンダム落語」など新作の独創的な落語を開拓すると同時に、舞台監督・映画監督としても活躍しています。
落語などでは数々の独創的な試みを打ち出すと共に、プライベートでは18歳年下の元アイドルのお嫁さんの心を射止めるなど、大胆で男気のある人物といえるでしょう。