【高橋大輔、ソチ五輪で金メダル!?その陰に昼は理容師、夜は弁当屋、スケート関係費を稼ぐ母の献身と涙】

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【高橋大輔、ソチ五輪で金メダル!?その陰に昼は理容師、夜は弁当屋、スケート関係費を稼ぐ母の献身と涙】

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高橋大輔選手、ソチ五輪出場決定おめでとうございます!
ところで、前回のオリンピックは、バンクーバーで開催され、日本人の男子フィギュアスケート選手として、史上初めて銅メダルを
高橋大輔選手が獲得しました!

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その2010年に、
【五輪メダリスト・フィギュア世界王者 高橋大輔 栄光の影にあった母・家族・故郷の知られざる支え】というタイトルで、
TBSの番組「中居正広の金曜日のスマたちへ」が流されました。

番組は、こんな展開でした。

MCの中居、ベッキーが笑顔で現れ、番組スタートです。

中居「銅メダリスト、高橋大輔選手で~す。」
カメラやスタジオの皆さんに会釈で答える高橋大輔選手。

中居「かっこいいよねぇ~。」と言いながら高橋大輔選手の腕を小突きます。高橋大輔選手も嬉しそう。

中居「もてるんじゃないですか?
高橋大輔選手「もてないですね。」会場から「え~~~~!!」とブーイング。

それから、いろんな会話があって・・・、途中省略、

中居「こちらは?」と高橋大輔選手が持参したものを見つけます。

高橋大輔選手「バンクーバーのメダルです。」

中居。メダルを高橋大輔選手から渡されて手にします。
「うわ!重~い。」もうひとつ見つけて「これは?」

高橋大輔選手「世界選手権のメダルです。」

中居「金じゃないですか?」手にとって見ました。

この後、高橋大輔の幼少時代から、栄光をつかんだバンクーバーオリンピックまでの過程が紹介されます。

高橋大輔が世界の頂点に立つためには、多くの人達の知られざる支えがあった。

フィギュアスケートとは無縁だった小さな理容店から始まった奇跡の物語である。
“理容 タムラ」大ちゃんのお母さんが勤めていた理髪店が最初の舞台です。

生まれは、1886年3月 岡山県倉敷市 高橋大輔 3月16日生まれ

建設関係の職人をしていた父親の高橋粂男さんと近所の理容店“タムラ”で働く母親の清登さんの間に男ばかりの4人兄弟の末っ子として誕生した。
だが、今度こそは女の子と願っていた母にとっては、相当ショックだったそうです。

そして女の子の格好をさせられている高橋大輔選手の写真が画面に大写しになります。

一方、父親は、陸上や空手が得意と言う事もあって、お兄さんたち3人は、少林寺拳法を習っているほど体育系の一家。
しかし、弱虫な高橋大輔選手は、いじめられっ子だったそうです。

高橋大輔選手にとって心の休まる場所は、お母さんが働く理容店“タムラ”だった。

そして、この“タムラ”の長女の英子さんは、大ちゃんにとって大事な人でした。

大ちゃんの名づけ親がこの英子さんでした。大輔とつけたのが英子さんです。

体操の“西川大輔”さんとか野球の“荒木大輔”さんとか“大輔”っていう名前が結構、スポーツ選手にワーッと出てきてた時です。

そのちょっと後に頂いた嶋大輔の音楽テープがあって「もう大輔でいいや」みたいなことで高橋大輔さんの名前は“大輔”となったそうです。
これが高橋大輔選手の名前の由来です。

嶋大輔さんは、“横浜銀蝿”の弟分としてデビュー“男の勲章”と言う曲でブレークしました。
あらゆるスポーツを勧める両親に反してスポーツには全く無縁の幼少期を、高橋大輔選手は送ります。

野球・テニス・剣道と見学するだけで逃げ出す始末。
そして高橋大輔選手が8歳のある日の事、“タムラ”のお客さんからアイスホッケーをしないかとの誘いがありました。

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数日後、アイスホッケーを見学に出かけた高橋大輔選手が運命的なフィギュアスケートとの出会いをすることになったのでした。
アイススケートをする横で練習するフィギュアを習う人達を見て、高橋大輔選手は初めて自分から興味を示したのです。

高橋大輔選手「ねぇ~英子姉ちゃん、あっちじゃ駄目なの~」がフィギュアスケートとの出会いだったんですね。
「これだ~って言う直感ですかね」英子さんや両親は、にこにこしています。

高橋大輔選手は、フィギュアスケート教室への送り向かえを英子さんにして貰って練習に励むようになっていきました。
そして活発な子へと変身して行ったのです。

ここで母親の清登さんが番組宛に書いた手紙が紹介されます。

「泣き虫の大輔がいつまで続くかということが心配でしたが、大輔が好きでやっているならそれが一番と思っていました。
そしてスケートを始め大輔がいつも楽しそうにしているのを見て、私も楽しく、リンクが泣き虫の大輔を子守してくれている、そんな風にも思っていました。
まさか、あんなにお金がかかるなんて考えてもいなかったのです。」

フィギュアスケート用品カタログを見てビックリする清登さん、諸経費で月、約20万円。
大会用の衣装はズボンだけで3万円もかかるという。

そこで清登さんと英子さんは手作りの衣装を作って高橋大輔選手に着せるのでした。
でも、よく高橋大輔選手も手作りの衣装が嫌だとは言わなかったですね。

この辺がやはり今の高橋大輔選手の謙虚さを象徴している感じがしますね。

高橋大輔選手のコメントが挿入されています。「自分に自信のない人間なので、今でもそうですけど、自信が持てる所がそこしか無かったんだと思うんですけどね、結局は。」

母親の清登さんは、昼は理容師、夜はお弁当屋さんで働いて高橋大輔選手のスケート代を稼いでいました。
大ちゃんのコメント「お金も大変だったと思うんですけれども、母なんか(昼は理容店で)働いて、夜パートに行ったりとか、いつ寝てるんだろうと思っていましたけど」
本当に高橋大輔選手のための無償の愛ですね。

中学生になった高橋大輔選手は、海外の国際大会に出場するまでになっていました。
その頃から理容店のお客さんが高橋大輔選手のためにカンパしてくれるようになった行きました。

「ちょっとは、協力させてよ。」暖かい皆さんの援助です。

高橋一家の頑張りに魅せられた近所の皆さんの積極的なカンパが始まりました。
“頑張れ!大輔!!”貯金ペットボトル。それ以外にもスケートリンクの半額券など高橋大輔選手の頑張りを後押しするのには十分な援助の和が広がって行きました。

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ここで再度、母親、清登さんの手紙が挿入されます。

「大輔がスケートを始めてことを知ったお客さんが入場券の半額券を用意して下さったので毎日リンクに行かせてあげることができました。私や主人、兄たちだけではなくタムラを中心としたみなさんが大輔のことを応援してくれていた様に思います。本当にありがたかったです。」

そんな町の皆さんが応援してくださる中、初めての国際大会“1999年トリグラフトロフィー”でいきなり優勝。
倉敷からやってきた無名の少年が衣装も振付も総て手作りで挑み、果たした快挙でした。

同じ1999年の夏、本格的にジュニアに参戦するため演技のプログラムを作って貰おうと高橋大輔選手はあるコーチの元を訪れた。
その人物が、現在の長光歌子コーチでした。
長光コーチは、その時初めて高橋大輔選手の滑りを始めて目の当たりにみて衝撃を受けたと言う事です。

長光コーチのコメント「言い方は悪いんですけれども地方都市の14歳になったばかりの少年ですから普通プログラムを振付けて10教えると2とか3とかになっちゃうんですよね。それが本当にもう100位になると言うか、あ、この子のセンスは凄いなってちょっと本当にビックリしました。」

この子なら絶対の世界が採れると確信した長光コーチは高橋大輔選手のコーチを引き受ける事になりました。
毎週末、倉敷から大阪にフィギュアを習いに通う高橋大輔選手のために専用の部屋まで用意して教えることに熱中して行ったようです。

そんなこともあって大きく飛躍した高橋大輔選手は2001年「第70回全日本ジュニア選手権」優勝を果たしました。
この頃でも衣装は御母さんと英子さんの手作りだったそうです。

そして高校1年に初めて挑んだ世界ジュニア選手権で略完璧な演技を見せ、見事に優勝、2002年の事です。
この優勝が高橋大輔選手がこの後に成し遂げていく最初の日本男子フィギュアの快挙となった訳です。

この後は、皆さんもご存知の高橋大輔選手へと続いて行く訳です。

今回、感涙のソチ五輪出場を果たした高橋大輔選手が、更なる高みに上ることを確信し、期待します!!!

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