
三浦知良といえば、日本のプロサッカー界で初年から活躍し、長年牽引しているベテランのサッカー選手です。
現役のサッカー選手にも子供の頃に憧れていた選手として、三浦知良の名前が挙げられます。
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1.三浦知良の幼少期
1967年2月26日に静岡県静岡市で生まれました。
父、母、兄の4人家族で兄もプロサッカー選手として活躍しています。
小学生の頃に、叔父のサッカーチームでサッカーを始めます。
高校生になると、私立静岡学園高校に入学しますが、1年も在学せずに退学し、ブラジルへ単身でサッカー留学に出発します。
ブラジルではCAジュベントスに所属しましたが、背が低くプロのサッカー選手として武器になるようなポイントは何もないという評価を受けていました。
その後チームを移籍し、ブラジルでサッカーを続けます。
2.三浦知良、ブラジルでの成功から帰国へ
厳しい環境の中で何度も挫折し帰国を考えながらも、1986年にサンパウロ州のサントスFCとプロ契約を結びます。
その後、何度か移籍を繰り返しながらもレギュラーの座を掴み、1987年には日本人初のブラジル全国選手権へ出場をしました。
1990年には他のチームの誘いを断り、もう一度サントスFCに復帰します。
レギュラーの座を取ると、多くの活躍をみせブラジルのサッカー専門誌でも表紙を飾るなど、ブラジルでも高い評価を得ることとなりました。
Jリーグが開幕する以前の1990年には、日本代表に選ばれるためにアピールしやすいことから、現在の東京ヴェルディと契約をします。
当初は思ったように活躍できず、期待を裏切ることも言われましたが、徐々に才能を発揮しチームに貢献します。
3.三浦知良、Jリーグ開幕から現在まで
1990年に東京ヴェルティと契約し、日本のサッカーに復帰するとチームを優勝に導き、大会MVPやフットボーラー・オブ・ザ・イヤーなど多くの賞を授与されます。
1994年にはイタリアのセリエAの名門ジェノアCFCに期限付きで移籍し、アジア人初のセリエAプレーヤーとなります。
鼻の骨折などで離脱しながらも21試合に出場しました。
契約終了後は再び東京ヴェルディに復帰し、得点王になるなどの活躍をみせます。
多くの活躍をみせましたが、チームの経営縮小のためにリストラが行われ、年俸0円が提示されます。
その後はクロアチアでのプレーを経て、再び京都サンガFCと契約します。
得点ランキングでは3位に入るなどの活躍をみせましたが、2000年のシーズン終了後に解雇となります。
ヴィッセル神戸に2001年から所属し、2005年のシーズン途中に横浜FCに移籍し現在もプレーしています。
4.三浦知良の年俸
ブラジルでのプロ契約時については、具体的な金額が公開されていません。
Jリーグ発足後は1992年、当時25歳で2億4000万円前後と言われています。
1995年に再び東京ヴェルディと契約した際は1億円で契約しています。
その後、移籍した京都サンガやヴィッセル神戸では8000万円で契約しています。
2002年の契約更改では7500万円、2003年は4500万円、2004年には4200万円と減額が続きます。
2005年は3500万円で横浜FCに移籍しています。
これらは更改されたときの金額であり、実際にはこの金額に出場試合数、ゴール数などの出来高が加わるので、実際に受け取る金額と差があります。
イタリアやクロアチアでプレーしていたときに受け取った金額は、公表されておりません。
5.三浦知良の家族
1993年にモデルをしていた設楽りさ子と結婚しています。
1997年には長男、2001年には次男が生まれ、二児の父です。
父の影響で、子供は二人ともサッカーをしています。
夫婦別居や離婚の噂な何度か報道されていますが、現在の婚姻関係は続いています。
実家の家族は、父、母、兄の4人家族で、兄は元プロサッカー選手の三浦泰年です。
6.三浦知良の性格
性格はとても神経質で、夜も真っ暗にしないと寝られない、どこに出かけるときもスーツ、サングラス、マフラーを手放さないなどのエピソードが残っています。
洋服を大量に所有しており、洋服専用の部屋を所有しています。
それでも洋服が入りきらず、一度洋服を処分したとテレビでコメントしています。
ブラジル留学の経験を経て、ポルトガル語が堪能になり、通訳なしでもブラジル人と会話ができます。
また、ブラジルの永住権を所有しているため、今でも永住権を維持するために定期的にブラジルを訪れています。
毎日を精一杯生きるという発言のように、毎日の練習は非常に熱心で努力家です。
中学3年生のときの進路希望調査で、第一志望ブラジルと書き先生に怒られたというエピソードがあります。
その後の人生を振り返ると本当に実現しており、小さい頃から努力家で意思の強い人柄がわかります。
サッカー選手以外の交友関係も広く、特に浜田省吾とはブラジル時代から交流が続いています。
日本のサッカー界の先駆者・三浦知良
サッカーが人気になる前からサッカーの本場ブラジルで過ごし、日本のサッカー界の先駆者です。
プライベートでもキレイな奥様を子供に囲まれ、洋服などの趣味も楽しみ、日本のサッカー界の成功者の一人でもあります。