
「ブルー・ライト・ヨコハマ」で知られるアイドルの元祖・いしだあゆみさんはどのようなきっかけで歌手デビューし、一世を風靡することになったのでしょうか。
現在の仕事、4姉妹家族と萩原健一さんとの結婚、暮らしぶり・資産、そして性格に迫ります。
[ad#ad-1]
1.元フィギュアスケート選手からスカウトされ歌手デビュー
いしだあゆみさんは、1948年3月26日、長崎県生まれです。
出身地は長崎県ですが幼少期は大阪で過ごしました。
14歳のときに上京し、高校は東京都内の上野学園高等学校を卒業しています。
いしだあゆみさんは4人姉妹の次女として生まれ育ちました。
実の姉はフィギュアスケートでオリンピック代表選手にも選ばれた石田治子さん。
妹は歌手の石田ゆりさんという才能に恵まれた姉妹で、2003年に放映されたテレビドラマ「てるてる家族」に登場する姉妹のモデルにもなっています。
いしだあゆみさん自身も元々は姉の石田治子さん同様フィギュアスケート選手として活躍していましたが、スカウトされたことをきっかけに、歌手としての活躍を目指す道へと転向しました。
歌手として初めての作品は、いしだあゆみさんが上京した1962年、本名の「石田良子」名義で発表されたソノシートレコード「夢みる恋」でした。
その2年後、1964年には「いしだ・あゆみ」名義でのレコードデビューを果たします。
2.「ブルー・ライト・ヨコハマ」でアイドルの先駆けとして一世を風靡
いしだあゆみさんはデビュー当初から清楚で都会的な可愛らしいルックスもあいまって人気を博し、レコードデビューと共にテレビドラマにも出演しました。
いわゆる昨今の”アイドル”的人気で話題となったタレントの先駆けともいえる存在で、”元祖アイドル”とも評されます。
しかし、いしだあゆみさん自身はそうした世間の評判に違和感を覚えたのか、その後、歌手活動に専念するためレコード会社を移籍します。
移籍後の日本コロムビアで1968年12月に発売された「ブルー・ライト・ヨコハマ」は150万枚の売上げを記録する歴史的ヒットとなり、いしだあゆみさんの代表曲となりました。
ちなみに、同曲は2008年12月から京急横浜駅で電車の接近メロディーとして使われており、”ヨコハマ”の代表曲でもあります。
「ブルー・ライト・ヨコハマ」のヒットで、いしだあゆみさんは1969年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たします。
さらにその後1977年まで9年間連続で紅白に出場していますから、まさに一時代を代表する歌手の1人といえるでしょう。
しかし、1986年に渡哲也とのデュエットとして発表されたシングル「わかれ道」を最後に歌手活動は事実上停止してしまっていました。
2008年には22年ぶりの新曲「オアシス」をラジオ番組で発表したものの、歌手活動を本格的に再開したのかは不明です。
もっとも、歌手としての活動を事実上休止している間も、女優・タレントとしての活動は続けており、2010年代にも地上波テレビドラマで頻繁にキャスティングされました。
また、2014年には映画「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」で芦田愛菜さんと共演するなどドラマ・映画・舞台作品には頻繁に登場しています。
2017年には中尾ミエ、和田アキ子さんらと共にバラエティ番組に久しぶりに出演し話題となりました。
3.短かった萩原健一との結婚生活
いしだあゆみさんは、32歳で、ドラマで共演した”ショーケン”こと萩原健一さんと結婚しています。
しかし、結婚から4年後には早々に離婚してしまいました。
萩原健一さんといえば”不良”や”アニキ”などといったワイルドなイメージの男優さんですが、いしだあゆみさんと結婚中の1983年4月には大麻所持の取締法違反の罪で逮捕されています。
逮捕に際していしだあゆみさんは会見を開き、ご自身は薬物とは無関係であること、夫である萩原健一さんを信じたいことをマスコミに伝え、この時点では萩原健一さんとの離婚には踏み切りませんでした。
しかし、萩原さんは翌1984年、人身事故をおこし、またしてもマスコミを賑わせてしまいます。
この事件をきっかけに愛想が尽きたのか、ついに同年に離婚し、4年間の結婚生活に終止符を打ちました。
その後現在までいしだあゆみさんは再婚などされておらず、お子さんもいません。
ちなみに、同姓同名のアイドル”石田亜佑美(モーニング娘。)”は、いしだあゆみさんとは無関係です。
4.鎌倉から都内へ引っ越し・総資産は数十億円?
いしだあゆみさんは2010年頃に元々住んでいた鎌倉の一軒家から引っ越し、都内のマンションに引っ越したと言われています。
鎌倉といえば観光地としても有名ですが、住んでいる芸能人が多いことでも有名です。
場所にもよりますが地価や家賃相場も高く都内の高級住宅地並の出費を強いられることもあります。
そんな土地柄の一軒家に長く住んでいたことからも、「ブルー・ライト・ヨコハマ」のヒットやその後も長く続いたタレント活動でいしだあゆみさんが築いた財産は、相当なものになると考えられます。
同年代の歌手加藤登紀子さん(1948年)の総資産は数十億円とも言われますが、いしだあゆみさんも同じくらいには稼いでいることでしょう。
5.和田アキ子が逆らえない?いしだあゆみの性格
いしだあゆみさんの元結婚相手である萩原健一さんといえば”ワル”の代名詞でもあります。
また、過去にはこれまたワイルドなイメージの千葉真一さんの大ファンだったといしだあゆみさん自ら語っています。
どうやら男臭い”ワル”がタイプだったようです。
しかし、初婚も30歳過ぎと当時にしては遅めで、異性との交際にはかなり慎重だったようです。
また、鎌倉に一軒家を構え相当な資産を築いているはずですが、萩原健一さんとの離婚後の暮らしぶりは芸能人らしからぬ質素さで評判でした。
鎌倉から東京へ引っ越した頃に”モノを持たない生活”を始めたと自ら語っており、執着や依存心の少ない自立した性格が垣間見えます。
また、いしだあゆみさんの後輩にあたる和田アキ子さんは駆け出しの頃いしだあゆみさんに救われたエピソードを語っています。
和田アキ子さんが先輩歌手からの嫌がらせやいじめに悩んでいた折、いしだあゆみさんからかけられた「ほっとけばいいのに」という言葉に何度も救われたとのこと。
いしだあゆみさんは、昔からしっかりとした自分を持った、芯の強い女性であったようです。
6.まとめ
いしだあゆみさんは4姉妹の次女として生まれ大阪で育ち、スカウトされ東京で歌手としてデビューしました。
デビュー後は”元祖アイドル”として人気を博し「ブルー・ライト・ヨコハマ」で大ヒットを記録、結婚相手には恵まれなかったものの、その後も歌手・女優として成長し長く活躍を続けました。
最近ではメディアへの露出は減りましたが、今後も末永くお元気でいて欲しいものです。